深川男児誘拐 殺害後も身代金要求

09-19 admin

男児が連れ去られた現場=11日午後、東京都江東区(内田優作撮影)

昭和61年5月9日、東京都江東区の区立小1年の男子児童=当時(6)=が忽然(こつぜん)と姿を消した。夕方には自宅に男児を誘拐したとして「とりあえず1500万円」と身代金を要求する電話があった。男児の両親は書店を経営し、地元の資産家として知られていた。

身代金引き渡し場所となった区内の清澄(きよすみ)庭園には夜、警視庁捜査1課特殊班の捜査員が潜んでいた。「子供は大月(山梨県)にいる!」。現場で取り押さえられた須田房雄=当時(45)=はうめいた。

だが、それは全くの噓だった。厳しい追及に須田は、男児を誘拐直後に殺害したと自供する。須田が身代金を求めたとき、すでに男児の命は失われていた。

遺体が富岡八幡宮裏の排水溝から見つかると、父親は「うちの子供ではない。こんな服は着ていない」と首を横に振ったという。遺体の白いシャツは血と泥で茶色に染まっていた(61年5月10日付『サンケイ新聞』夕刊)。

「身代金を取りにさえくれば、犯人は必ず捕まえられる」。特殊班の経験が長い幹部は、断言する。誘拐は割に合わない犯罪-。捜査関係者の共通認識でもあるのだが、事件は繰り返され、大人のカネへの「欲」によって、何の罪もない子供の未来が奪われた。

無職の須田は周りに「東大教授」などと詐称。当然生計は立たず、引っ越し資金に窮しての犯行だった。1審で死刑が確定し、平成7年に執行された。(内田優作)

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